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丹中山の緑と墓地の破壊の流れ

以下は丹中山墓地の破壊の記録です。


昭和45(1970)年 10月 都市計画法を根拠として高知市が丹中山を含む地域を市街化区域に指定する
平成8(1996)年 10月 明治30年に譲与を受けた丹中山の地主F氏からY氏が購入
12月 Y氏からN氏が購入予約を行い権利者となる
業者が第一回墓地改葬公告を出す
平成9(1997)年 1月 業者が第二回墓地改葬公告を出す
2月 業者が第三回墓地改葬公告を出す
8月 丹中山をK氏が購入し登記する
10月 「丹中山の墓地を守る会」が結成される(以下「守る会」と表記)
平成10(1998) 4月 「守る会」が春季大会を開催する
6月 「守る会」から高知市議会へ請願書を提出、採択される
9月 高知市が里山保全条例を検討開始する
平成11(1999)年 4月 業者が無縁墓改葬許可申請を行う
平成12(2000)年 1月 里山保全条例骨子ができる
3月 高知市議会が里山保全条例を可決
10月 里山保全シンポジウムが開催される
平成13(2001)年 1月 高知市が里山保全の候補地を発表、丹中山は除外される
元はこのような緑の山だった
6月 S社が丹中山の開発を宣言
「守る会」及び近隣の町内会から高知市に丹中山を里山保全の対象に入れるよう、6月議会に陳情書を提出
高知市が第一回の里山保全地区を決定、丹中山ははずされる
8月 丹中山に掘削機械が入り、樹木を伐採し無縁墓を重機で掘り始める
小型の掘削機械が道を切り開いて上がっていく
「守る会」が「お乙女姉やん墓前祭」を開催
土居晴夫氏も参加されていた
9月 有縁の(管理者のいる)墓地は保全されると松尾高知市長がコメントを出す
高知新聞が丹中山について「高知市は知恵を絞った対応を」とコラムを掲載した
有縁の墓がいくつか破壊され、「守る会」が抗議する
文化財保護審議会が現地視察、坂本家の墓地を史跡に指定するように意見具申する
10月 丹中山の登記がS社名義に変更される
土が赤いことが丹中山の名の由来
「守る会」が臨時総会を開き決議を行う
11月 「全国龍馬ファンの集い高知大会」で「守る会」が現状報告する
業者が並べた無縁の墓石群
12月 高知市が坂本家墓地を史跡に指定するため文化財保護審議会に諮問する
高知市が坂本家墓地周囲4,000平方メートルを購入するため交渉を始める(第1回)
S社が有縁の墓地管理者に対して不法占有の訴訟を起こす
平成14(2002)年 1月 「守る会」が臨時総会を開き、複数の弁護士に対策を依頼することを決定する
うっそうとした林の中にあった坂本家第一墓地だが、その周囲は切り下げられ崩壊の危険が出てくる
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まだこれから15m掘り下げる
高知市はこの状況に「打つ手がない」と公言する
高知市が第2回〜第5回用地交渉を行う
2月 高知市が第6回〜第8回用地交渉を行う
丸裸にされた坂本家第一墓地
3月 「守る会」が有縁墓地及び参道の保全をするよう陳情し採択される
坂本家が第一墓地をあきらめ、第二墓地に合併することを発表
坂本家第一墓地の後ろも削られていった
4月 「守る会」に龍馬ファンなどから送られた1,000名余の署名を高知市長に提出し、高知新聞が記事にする
削られて平らになっていく丹中山
5月 フジテレビのスーパーニュースが丹中山事件を取り上げ全国で放映
坂本家第二墓地の後ろにあった山は完全に無くなった
週刊実話、「スポーツ報知」、MBS「浜村淳のありがとう」、日テレ「ズームイン」で取り上げられる
坂本家第一墓地が第二墓地に移転合併
第一墓地にあったご先祖は一番後ろの列に
周囲が削られ墓参ができなくなった墓地が他にもできたので高知市の対応をきく
墓参道の確保については法律がないので行政指導はできないと高知市が回答する
6月 全国から送られた第二回目の署名を「守る会」が高知市に提出し、高知新聞が記事にする
土の塔の上に残された墓地
9月 周囲が削られたり、埋め立てられたりして墓参ができない墓地が続出
応急措置でどうにか崩壊を防いでいた
10月 頂上部から北の方に墓地破壊が進む
周りを土砂で取り囲まれた墓地
平成15(2003)年 6月 高知市長が現地視察を行う
高知市が第9回用地交渉を行いまとまる
7月 高知市が坂本家及び土地所有者から史跡指定の承諾を受ける
8月 高知市が坂本家第二墓地を史跡に指定することを決定し発表する
坂本家第一墓地が第二墓地に合併したことを理由に、高知市が当初4,000平方メートル購入の計画を1,500平方メートルに縮小した
12月 高知市が坂本家墓地周辺の土地1,400平方メートルを単価29,300円で購入すると発表する
前田秀徳氏が地道に集め、護っていた墓石たち
平成16(2004)年 業者が有縁墓所の各管理者に対して不法占有を争う裁判が今年も続き、引き続き弁護団が対応する
崖の上に取り残された墓地を見守る
11月 「守る会」が総会を開き、丹中山での改葬の希望者に坂本家墓所の後ろ側に確保される用地の配分について協議する
坂本家墓所の裏にできた用地(2007.3)
平成18(2006)年 3月 長期にわたる個別の裁判で、それぞれ墓地の使用権が認められ、残る丹中山内に改葬する費用をS社が負担することで和解し、全メンバーの裁判が終結する
この後も丹中山は削られていった

なお、以前から丹中山の墓について歴史的に研究し、保全に力を尽くしていた歴史写真家の前田秀徳氏が、とり続けた記録をもとに本を出版されています。

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