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高知市が不動産業者と交渉してやっと確保した丹中山の一部に、前田秀徳氏が独力で護って きた数々の墓を配置しました。 高知市の整備構想委員会の中で、前田氏は龍馬歴史館(野市町)を監修した経験を生かし、 坂本家墓所を中心に据えてこの史跡公園を基本的にデザインしました。 |
ぜひ、ここを実際に訪れ、幕末明治の高知を築きこの丹中山に眠っていた人々のことに想いを 寄せてください。 本公園は大きく8つの部分に分かれています。 (1) 坂本龍馬の生家の家族たちが眠る坂本家墓所 (2)龍馬の仲間たちである勤王志士ほかの墓 (3)明治という新時代を創った戊辰戦争参戦者の墓 (4)土佐藩におけるそれぞれの役目を果たした江戸期武士の墓 (5)植物学者や藩医など医師ほかの墓 (6)上士、下士の反目を決定的にした井口事件関係者ほかの墓 (7)国学者や歌人など文人の墓 (8)坂本栄が嫁いだ柴田家の墓 では、少しずつですが、その様子を紹介しましょう。 |
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坂本家墓所は、第一墓所、第二墓所と分かれていたのですが、不動産業者の開発を機に坂本 家が合併させてしまいました。第一墓所は頑張ってそのまま置いておいて欲しかったと思うのは私 一人ではないでしょう。 最後方の列に第一墓所から改葬した墓が並んでいます。(関係は龍馬を中心) 右から、(曾祖父)八平直海、八平直海の妻、八平直海の娘、そして(祖父)八蔵直澄、直寛後妻、 土居清一、土居昭夫 次に最前列右から、(父)八平直足、(母)八平直足妻、兄権平直方、権平直方妻 2列目右から、(継母)八平直足後妻伊与、(後嗣)直、直寛妻鶴井、権平直方後妻 3列目右から、権平直方後妻、(姉)栄、(姉)乙女、八蔵真澄妻、権平倅富太郎 (栄の墓は小説がらみで昭和43年に建てられています。) |
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坂本家墓所の左隣には削り取られた丹中山に散在していた勤王の志士ほかの墓が建てられて います。墓は葬られた場所を感じ、その時代を感じ、その人を感じて弔うべきですが、ここに並べら れた墓は、残念ながらその葬られた場所を土地開発によって奪われてしまいました。 その代わり、私たちが探して歩く手間を省くことができ、十分に墓石を観察することができるように なり、その碑文を読みとり時代や先人の遺業を知ることができます。 最前列右から、真邊栄三郎正心(大政奉還を推進)、山地多嘉尾(三条家に嫁いだ眉寿姫と共に 三条家に行った老女)、楠山庄助・同妻(坂本龍馬の通った楠山塾の師匠) 2列目右から、一瀬孫之進正利(上士で勤王党員であった一瀬源兵衛の父)、一瀬九郎右衛門 (源兵衛の祖父)、釈妙華童女(孫之進の娘) 3列目右から、服部與郎(槍の名人だった勤王党員)、服部勇助(與郎の父)、服部要五郎(戊辰 戦争にも参戦した勤王党員服部東蔵の父) 4列目右から、島 弥四郎(勤王党員島 浪間の祖父)、池 伴仙(龍馬の盟友池 内蔵太の一族で 勤王志士を多数育成)、池 浩養(池伴仙の弟、伴仙塾を引き継ぎ多くの子女を育成) |
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真邊戒作正精(迅衝隊6番隊長、第4胡蝶隊司令として会津まで) 長崎貫太頼房(迅衝6番隊士、幕府大鳥軍と戦い白河表で戦病死) 田中煌之進重行(迅衝1番隊士、同上湯本街道で戦死) 尚、この後方10mほどの旧往還脇に土佐勤王党員田口文良(迅衝隊軍医として会津まで)の墓があります。 |
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奉行職、国産方、勘定小頭など藩の行政に携わった人、剣や槍の指南役などで師弟を育成した 人など江戸期の多くの武士もこの山に葬られていました。 残念ながら一部しか残せませんでしたが以下の方々が残されています。 高屋順平長棟、馬場弥五六唯政、黒岩淳三郎孝保、真邊十郎右衛門、吉岡源八郎、日比禮八 徳廣、宮崎九内正任、嶌村十郎兵衛、丁野彌五丞正實 |
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医師や僧なども丹中山で眠っていました。 宮地郁蔵維則(本草学者、医師)、大黒宗作親玄(外科の藩医)、大寶院(元の永福寺住職)、 横田行蔵茂行(塾師匠、砲術家) |
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くすぶっていた上士と下士の間の摩擦がついに発火した刃傷事件(上士山田広衛が下士 中平忠次郎を斬り、駆けつけた池田寅之進が山田広衛と益永繁斉を斬った)でした。 益永繁斉繁秀(上士側の同伴者)、益永雲悦(繁斉の父)、中平九左衛門(中平忠次郎の祖父)、 平井正光(2枚あわせの珍しい墓石)、土方寿仙(郷士の子、奇人) |
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江戸時代の高知にも歌人、俳人、画人、詩人など多くの文人がいました。 山地覚蔵介寿(本居宣長に師事した国学者)、小島伴蔵磯魚(歌人)、門田宅衛門(妻) (宅衛門は歌人)、小野藤丞繁植(歌人)、宮崎竹助高門(歌人)、嶌田助五郎正身(歌人) 吉田関左衛門直微(俳人)、黒岩金岳元蔵(画人)、兼松清九郎(画人)と妻トヨ、西山小鷹 (漢詩人) |
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坂本龍馬の次姉栄は柴田作衛門と結婚したので柴田家の墓所に墓があります。この墓所は 公園ができるまで藪に覆われていました。整地はしましたが、位置は変わっていません。 坂本栄、柴田宇左衛門勝成(作衛門の父)、柴田○芳院(作衛門の後妻)、柴田矢之助(宇 左衛門の子) |
以上、ダイジェストでした。現地にはひとつひとつのグループ毎にもっと詳しい案内板があります。墓の名前は知らなくても、案内板をよく見ていると知っている名前が書かれていたりして興味をひかれます。