野閑人ですきに。
新暦の五月は春の花が終わって、花の相ががらりと変わってしまう。
武蔵野でも花の種類がぐっと減り、花は無くなったのかと思う時がある。
今は躑躅と花水木が主役かな。
新暦の五月は、春の花が終わり未だ夏の照りつける太陽もなく
夏への季節の橋渡しのような短い期間だ。この季節を愛する
文人や芸術家は多い。
きのうけふとよく晴れて、寒くなく暑くもなく、季節的にもっとも
恵まれた素晴らしい二日間だった。
けふは日曜日だが、早起きして、中央線乗って御茶ノ水駅で下りて、
聖橋を渡って湯島聖堂を右に見ながら神田神社へ行った。
けふは神田明神祭の最終日で、二丁の宮神輿が出る。
今年は本祭りではなく陰祭りの年で町神輿は出ない。
去年が本祭りで、百丁以上の町神輿の渡御して、すごい迫力だった。
しかし、今日も境内は朝からすごい人出だ。
神田明神祭の人気は衰えることはなく年々人出は多くなるばかり。
朝、本殿前に並べて置いた二丁の宮神輿を宮司がお祓いする
神事のあといよいよ発簾。鳶頭衆の木遣り音頭の合唱に続き、
拍子木が二回打たれると、揃いの半纏を着た担ぎ手数十人が
ヨイサー!と一気に神輿を担ぎ上げて、ヨイサー!チョイサー!と
掛け声をかけながら神輿が進み始める。
定番の神田囃子が演奏される。
神田囃子の屋台が神輿を先導する。
笛や太鼓の演奏者はこの屋台の上に乗っているように見えるが、
実は底の抜けた屋台で、人に押されて動く。演奏者は歩きながら
演奏しているのだ。
神田祭名物の「底抜け屋台」だ。
今年は神輿に付いて、附祭り(いわゆる山車)が二つ出た。
「要石・大鯰」と「大江山凱陣」だ。
二つとも江戸時代から
ある附祭りで、天保頃にできた「江戸名所図会」にも描かれている。
4141規則違反(150KBばかしオーバー)じゃが、画害を許せ。hi