江戸の祭り


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神田

【2009版】

野閑人ですきに。

 五月は江戸の祭りの季節でもある。手始めに先週に神田明神祭があり、
この週末には浅草の三社祭がある。
 先週の土曜日に神田祭に行ってきたので、長文のお祭り紀行と
画害を少し。

 五月七日から十五日までぶっ通しで神田明神のお祭りだった。
今年は二年に一度の本祭り。五月十日日曜日は百基近い町神輿が出る。
その前日、五月九日土曜日の神幸祭の日に行ってきた。この日は町神輿の
宮入はないが、須田町や多町や鍛冶町などの各町で町神輿の渡御がある。



 前日までの雨が上がり、晴れた暑い日で、昼間は摂氏25度を超えていた。
御茶ノ水駅で電車を降りて聖橋にかかると、目前に湯島聖堂の階段状に
連なった海鼠(なまこ)壁と、銅板葺の屋根が、鬱蒼たる聖堂の杜の
若葉とともに、初夏の明るい日を浴びていた。

 聖堂の北側の道路を挟んだ向かいに神田神社がある。
昼前だが入口の大鳥居の下にはかなりの人数が出ている。
朝八時の宮神輿の宮出しの時はもっと大勢の人が出ただろうと思う。



 参道の両側には露天商の屋台がずっと連なっている。
 ピーヒャラ、ピーヒャラ、ピーヒャララとお目当ての神田囃子が聞こえてきた。
これを聞くために毎年神田祭にやってくる。去年もおとどしも来た。



 神田神社の主祭神の一つは平将門である。これは江戸時代に、
判官びいきの江戸っ子が、神田神社に勝手に付け加えた神様だと
筆者は思っているが、今は将門だけしか知らない人のほうが多い。

 江戸の三大祭りというのは、日枝神社の山王祭、神田明神の祭、
富岡八幡宮(深川八幡)の祭を言う。四大祭りと言えば浅草の三社祭が
入ってくる。
 三大祭のうち山王祭と神田祭は特に盛んで、江戸時代には
天下祭りと呼ばれた。これは十一代将軍徳川家斉が、多くの側室達と
子供たちに祭り見物を所望されて、山王祭と神田祭の山車(だし)を
江戸城に引き入れさせて、自分の家族や居並ぶ大名達に見物させたので、
天下祭りと呼ばれたわけである。
(ちなみに家斉は16人の側室に53人の子を産ませた)。



 日枝山王神社と神田神社は江戸中の氏子(神道の信者)をほとんど二分する
ほどの勢いを持っていた。両祭はそういうわけで江戸時代に非常に盛んになり、
派手になって大金を費消するようになったので、本祭りは2年に1度の開催になり、
間の年は山車の出ない小規模な陰祭りをやった。つまり、日枝山王神社と
神田神社は一年おきに交互に本祭りをやったわけである。

 昔から江戸っ子は江戸の三大祭りを称して、

   神輿深川 山車神田 だだっ広いが山王様

と言ったが、この通り神田祭は山車(だし)で有名であった。
しかし明治も半ばを過ぎて、町中に電柱が立てられ電線が張り巡らされると
山車の巡幸はできなくなり、替って人の担ぐ神輿の渡御が中心となった。
山車は5mを超す高さがあるものがほとんどであった。



 この日は神田明神境内に一つの山車が飾られていた。もちろん巡幸はしない。
この山車の上でお目当ての神田囃子が演奏されていた。この山車と
境内の能舞台の二箇所で交互に、地元の神田囃子保存会の人達の
見事な演奏が披露されていた。
 神田囃子は日本の祭り囃子の定番と言ってもよく、笛と太鼓と鉦の
緩急自在のリズムに耳を済ませていると、遠い昔の祭り情緒が懐かしく
胸によみがえり、飽かず、何時間でも聞いていられる。



 この日は遅く行ったので聞けなかったが、朝の、宮神輿の宮出しの時は
鳶頭衆の「木遣り」の大合唱が神輿を先導したはずだ。鳶姿の侠(いなせ)な
お兄さんが扇子を鼻の上に開いて「ヤア〜〜」と木遣りを搾り出す、
と言いたいが、今どき木遣りを唄えるのは、筆者より年上の爺さんばかり。
 しかし江戸木遣りの唄い口の粋さは、いなせな江戸っ子が伝えた
江戸独特のものであり、江戸芸のもっとも冴えたるものである。



 参道にも境内にもびっしりと露店が出ていた。人ごみを掻き分けながら
まず参詣を済まし、見慣れた境内を一回りしてその賑わいを見物した。
 境内に明治の江戸前俳人の角田竹冷の句碑があった。

   白うをやはばかりながら江戸の水

 竹冷は子規派の写生俳句とは一線を画した一方の江戸俳句の雄であった。
この江戸俳句の伝統は久保田万太郎に受け継がれたように思う。

   神田川祭りの中を流れけり    万太郎

 明神様の境内でたっぷりと神田囃子を聞いてから昌平橋を渡って
神田駅に向けて歩いた。神田駅前の鍛冶町で神輿を担いでいる
知り合いと会う約束がある。首尾よく鍛冶町二丁目、通称「鍛冶二」の
神輿をかついでいる知り合いと落ち合い、神輿の尻について歩いた。
 神田鍛冶町から三越本店の前まで往復した。三越本店も
旧三井銀行本社も神田の浅田飴も龍角散も秋葉の電気量販も
みんな、明神様の氏子だ。それぞれの本社の前には提灯をかけ並べ、
お供え物を飾ってある。

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