江戸の祭り


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深川

2001年版
Date: Tue, 14 Aug 2001 20:37:32 +0900
野閑人@ふすぼれちゅうけんどなぜか元気

12日から15日まで富岡八幡宮の例大祭で、12日に見に行ってきました。
富ヶ岡八幡宮通称深川八幡のお祭りは江戸三大祭のひとつで元禄期(1690年頃)より深川の氏子衆
により断続的にではありますがずっと続いて参りました。



三大祭の他の二つは神田明神祭と山王神社の山王祭です。
浅草神社の三社祭は明治になってから始まったもので比較的新しいものです。だから三大祭には入っ
ていませんが今では一番賑やかな祭でしょう。



「神輿(みこし)深川 山車(だし)神田 だだっぴろいが山王様」と言って、深川は当初から神輿が有名
で、最初の神輿はかの紀文大尽(紀伊国屋文左衛門)が元禄期に寄贈したもので、総金張りの豪華な
ものでしたが、惜しいことに関東大震災で焼失し、今の神輿は戦後作られたものです。



その神輿も立派なもので、日本一の大きさです。大きく作り過ぎて4.5トンもあり、とても人間が担いで練
ることが出来ない。
それで、実際担いで渡御させるのは二の宮という小さい方の神輿です。それでも2.5トンあります。二の
宮でも百人ぐらいで担ぎます。



本祭りは3年に一度で、この時は各町神輿もあわせて50基以上の神輿の連合渡御があり、その迫力
たるやものすごいものです。



一名水かけ祭りとも言われ、渡御する神輿に沿道の見物がバケツでどんどん水をかけます。神輿に
水をぶっかける祭は深川だけです。



深川の神輿を担ぐ掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」ですが、この定番のような掛け声は、驚いたことに
今は深川だけのものです。
神田明神祭や三社祭では「ソイヤー!」とか「オンリャー!」です。
昔の江戸神輿はすべて「ワッショイ、ワッショイ」でしたが、神輿を担ぐ若者が時代と共に変えていった
ものです。



深川だけが伝統を守って「ワッショイ、ワッショイ」です。この掛け声は氏子連が意識して守っているよう
です。
「ワッショイ」の「ショ」にアクセントがあります。「ワ」ではありません。発音してみて下さい。hi
木場の町神輿だけは脇に音頭取りがいて、担ぎ手の「ワッショイ、ワッショイ」に合わせて「チョイサー!
コリャサー!」と音頭を取ります。



去年も書きましたが、二の宮の渡御の行列の先頭は木場鳶や火消し鳶の鳶頭衆の爺さん達が半纏・
股引・白足袋・豆絞りの鉢巻という実にいなせな姿で「木遣り」の定番「真鶴」「手古」を唄いながら先導
します。



その次に続くのが辰巳芸者衆の手古舞の行列です。髪を男髷に結い、片肌脱ぎの独特な衣装で、白
足袋にわらじ履きで半開きの扇子を口の前にかざして、やはり木遣りを唄いながら行進します。
今は深川の洲崎遊郭も無くなり現役の辰巳芸妓もいないので、町の娘さん達が辰巳芸妓に扮して
行進します。



これがまた実に粋で、木遣りの「エーーオーーンヤーーリョオーー」という哀調を帯びた曲調とあいまっ
て、江戸情緒の精髄を見せます。何とも粋でいなせで、姿が良い。



手古舞というのは踊りではありません。木遣りを唄いながら神輿を先導する行列のことです。
木遣りは木場の材木や石を大勢で運ぶ時に前を先導しながら唄う労働歌で、その先導を「梃子前(て
こまえ)」と言ったのが語源です。



今年は本祭りではなく陰祭りの年に当り、鳶衆の木遣りや手古舞は見られませんでしたが、小規模の
各町神輿の渡御がありました。その写真を見て下さい。君これ画害とののしることの無からんことを。hihi
鳶頭衆の木遣りや辰巳芸妓の手古舞の写真は去年送ったメールに添付しておきました。希望者のみ
再度ダイレクトで送りますので連絡下さい。



12日は曇って、傘の要らない程度の雨が降りみ降らずみ、隅田川を渡る川風涼しく、門前仲町の高張
り提灯と八幡様の大鳥居脇の二本の大幟と祭屋台で演奏される深川囃子の笛、太鼓、鉦の音がお祭
りを盛り上げます。



深川のお不動様(深川不動院)から八幡様(富岡八幡宮)までの間にずっと並んだ露店を冷やかしな
がら時間をつぶしていると、やがて永代通りを東から永代橋の方に向かって町神輿が数基やって来ま
した。子供神輿や女神輿もあります。



中にひときわ大きな木場町の神輿があり、50人ぐらいで担いでいます。担ぎ手には豆絞りの捻じり鉢
巻の若いお姉さんも混じっています。「ワッショイ!ワッショイ!」の掛け声に合わせて、印半纏のお兄
さんがハンドスピーカーで「チョイサー!コリャサー!」と合いの手を入れます。沿道から次から次へと
バケツの水が飛びます。
神輿も担ぎ手もずぶ濡れになりながら練って行きます。

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